2009年11月

ブロツワフの町(3)

 ポーランドに来て3ヶ月、ブロツワフに住んで2ヶ月が過ぎた。授業や生活にも慣れ、気持ちに余裕ができ週末を自分の好きなことに多くの時間をあてられるようになった。
 インターネットで Wroclaw Weekly を検索すると金曜日から翌週の木曜日までの様々な情報を得ることができる。その中に concert の項目があり、自分の気に入った演奏会を見つけ楽しんでいる。


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 ブロツワフには、ブロツワフ本駅から西側に歩いて10分位のところにフィルハーモニーコンサートホールがある。 収容人員は700~800人位で、こじんまりとしたホールである。


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また、そこを拠点に、ブロツワフフィルハーモニーオーケストラが活動している。親子を対象にしたファミリーコンサートも活動の一環として音楽の普及活動に努めている。さすが、ショパンの生まれた国である。
 先日、そのホールにクラクフ フィルハーモニー オーケストラがやってきた。エバ・クピュックという女性ピアニストがそのオーケストラと共演し、ショパンのピアノ協奏曲第2番ヘ短調を弾く演目であった。以前から、ショパンの生地ポーランドでショパンの曲を聞きたいと思っていたので、その日を楽しみにしていた。当日は立ち見をする人が出るほどホールは聴衆でいっぱいになり、演奏が終るとホール中に拍手が鳴り響いた。花束を受け取ってステージ下に戻った彼女は、再び、ピアノの前に座り、アンコール曲を弾き始めた。曲目は映画 『 The Pianist 』(邦題 『戦場のピアニスト』)で使われたショパンのノクターン第20番(遺作)嬰ハ短調。曲の調べとともにステージ上のオーケストラ団員も含め、ホール内全員が、彼女の演奏にひきこまれていた。
 その映画は、ポーランドの名ピアニスト W・シュピルマンが第2次世界大戦ナチス・ドイツ侵攻の中、奇跡的に生き延びたことを書いた回想録を基に、ロマン・ポランスキー監督が映画化した作品である。今、自分がポーランドにいること、そして思い出されるその映画のシーンで、自然と涙が込み上げてきた。感動に浸りながらステージ上を見ると、ピアノを囲んで座っている クラクフ フィルハーモニー オーケストラの団員の中にも目元を手で拭う姿が見られた。それも一人ではなく何人もである。しばらくして、クラクフには、アウシュビッツの収容所があり、今も世界遺産として残っていることを思い出し、私なんかよりもっともっと深いものが込み上げてくるのも当然だと思った。その日の演奏会は、私にとってアンコール曲が一番心に残る曲となった。

 また、音楽はコンサートホールだけでなく、ポーランドの人たちにとって生活と密着した教会でも楽しむことができる。ポーランド人の約90%がキリスト教カトリックの信者であることから、ブロツワフにも教会がたくさんある。
 観光の中心となる市庁舎から東側へ歩いて10分ほどのところに、聖アルベルト教会がある。

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 ポーランドの人達は日曜日になると家族全員で教会へ行き、ミサを聞く人が多く、特に12時のミサは、いつも、いっぱいである。私もクリスチャンではないけれども、よくその教会へ行く。教会全部にあるわけではないが、聖アルベルト教会にはパイプオルガンがあり、ミサの中でパイプオルガンの奏でる音と、聖歌隊の歌声を聞くことができる。

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鐘の音とともに教会に集まった人たちが立ち上がり、司祭の通る声で話が始まる。初めのころは出入り口の隅で司祭の声とパイプオルガンの音を楽しんでいたが、徐々に、教会の中へ入り一番後ろの席で信者の人達と同じ動作を行い、ミサを聞くようになった。もちろん、ポーランド語はわからないが、なぜか心が落ち着いてくる。

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 教会に集まる人たちは老若男女。まさに赤ん坊から杖をついたお年寄りまで幅広く、流行最先端を行く若者の姿も目にすることができる。また、乳母車を引いて教会に来る若い夫婦の姿もよく見かける。ポーランドの人達はこんなに小さいときから、教会に親しみ、聖歌隊の澄みわたる歌声やパイプオルガンの音色を子守唄代わりに聞いて育っていることがわかった。

 トラムやバスに乗っているとポーランドの若者たちは、お年寄りや身体の不自由な人が乗ってくるとすぐに立ち上がり席を譲る。日本ではなかなか見かけられない光景だが、彼らのそうした行動は乳母車の中にいるころから、彼らの中に自然に育まれて身についたものなのだと、ミサを聞きながら一人納得した。


折り紙は親善大使

 授業にも慣れ、学生の顔と名前がだいたい一致するようになってきた。しかし、聞きなれない長い名前となると何度覚えても完璧に覚えきれないでいる。
 ブロツワフに2年目になるもう一人の日本人の先生から、昨年、初めての授業のとき、デジカメを持っていき学生の顔写真を撮った話を聞き、私も早速、1回目の授業にカメラを持ち込み、学生の名前を呼んだ後、前に出てきてもらい一人ひとりの顔写真を撮った。それをパソコンに入れ名簿を見ながら顔と名前を覚えていくようにした。
 授業では2週目から週末の宿題プリントを出し、翌週の最初の授業でそれを返すようにした。宿舎で宿題のチェックが終わると名簿の順番にプリントを揃えていたが、次第に、顔と名前にある程度自信が持てるようになると授業が始まる30分前に教室に入り、入ってくる学生に名前で呼びかけ、それぞれの宿題を返せるようになった。

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 学生たちも日本語の授業やクラスの雰囲気に慣れ、座席の位置も徐々に固定化されるようになった。しかし、中には日本語の授業に登録しながら1回出席して、それ以降、来なくなった学生もいる。
 ブロツワフ経済大学では、必須外国語として英語・ドイツ語・フランス語・ロシア語・イタリア語・スペイン語の中から学生たちは2つ選ばなくてはならない。私の教えている日本語は、第3外国語になり、選択科目として位置づけられている。したがって、日本語の授業はどんなものか興味本位で覗いてみて面白そうなら出席し、そうでなければ辞めてもいいと考える学生がいてもおかしくない。1回目の授業で用紙を配り、後日、提出してもらったアンケートの内容に『日本語を勉強する動機は何ですか』という質問事項がある。日本語や日本文化に興味があるからと答えている学生がほとんどなのだが、学生と直接話をしてみると、アニメ・マンガが大きなキッカケとなっていることがわかる。その他、将来の就職のため・暇な時間を埋めるためなどさまざまあったが、動機が何であれ、偶然が重なって知り合った学生たちに、この授業が日本そして日本人を理解するひとつのステップになればと考えている。ただ、例年、授業が進むにつれて、受講生の数が減っていくという話を聞いている。選択科目の宿命かもしれないが、一人でも多くの学生に最後までやり通してもらいたい。

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 1回目の授業から1ヶ月余りがすぎ、授業の内容も50音図表を使ってのローマ字・ひらがな・カタカナが終り、『げんき』の教科書で、「あいさつ」から場面設定の表現へと進んでいる。1時間の授業は90分。その時間をすべて集中というわけにはいかない。どこかでメリハリをつけなければ学生も教師もただ疲れるだけである。そんなときに折り紙はとても役に立つ。先日、自分で作った作品(折り鶴)を最初に学生に見せ、折り紙タイムに入った。初めに、学生たちに好きな色の紙を選ばせ、折り方を順に教えていく。授業のときには目立たない学生も、この時ばかりは夢中になって取り組んでいる。机間巡視をしながら、紙が正しく折られているかチェックする。ここでは日本語とは違った能力、その人の器用さが問われてくる。なかなかうまくできない学生には、決して焦らせず、正しい折方をその学生の紙を使ってひとつひとつ教えていく。いくつかの手順が進んでいくと、こんどは学生の方からよくわからないと言ってくるようになる。そして最後の手順が終り一つの作品が完成すると学生たちも満足そうな様子で、お互いの作品を見せ合い、教室の中がにぎやかになる。中には自分で少し改良した作品を自慢げに見せている学生もいる。折り紙を通して一人ひとりと接することが、先生と学生との関係に大きな影響を与えてくれることは、その後の授業でわかった。

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 それまでおとなしく、授業中もこちらからの問いかけに少しこわばった表情をしていた学生が折り紙をやってから、授業への取り組みが少し変わり、日本語の勉強でも質問するようになってきた。これも折り紙のおかげだと思っている。
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 また、私の住んでいる宿舎では、毎週木曜日、掃除をするために私の部屋におばさん(イレー
ナさん)が来てくれる。彼女はこの宿舎の清掃管理を主に任され、いつも明るく、元気で私の片言のポーランド語に付き合ってくれる。ある木曜日、前日作った折り鶴があり、掃除の後、それを彼女に鶴というポーランド語がわからないので、鳥を意味するPtak(プタク)と言ってプレゼントした。
イレーナさんは、プタク、プタクと言って喜んで受け取ってくれた。
 折り紙はきっと世界中どこでも通用する親善大使だと思った。


ブロツワフの町(2)

 授業が始まって3週間が過ぎ、生活にもリズムが出てきてだいぶ落ち着いてきた。『衣食足りて礼節を知る』という言葉があるが、生活が安定しないと気持ちに余裕がなく、どこか不安な状態に陥ってしまう。特に、食に関しては切実である。ウッジの研修ではホームスティだったので気にも留めなかったが、ブロツワフでは全部自分でやらなければならない。ブロツワフ到着後、どこで何が買えるか知るために毎日、出歩いていた。


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 聖ヤン大聖堂を訪れたとき、教会から市庁舎側に向かって歩いて行く途中、オドラ川の橋を渡ってすぐのところに「市場のホール」という建物があることを手元のガイドブックで知り探してみた。名前から連想する市場の華やかな様子を探すが見当たらない。場所から考えると、どう見ても古めかしいレンガの建物しか考えられない。しばらく様子を見ていると2つの扉に出入りする人の姿を見かけ、後に続いて中に入ってみた。

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すると、そこは食材の宝庫!野菜、果物、肉、雑貨類と大きなフロアーにたくさんの店が並んでいる。外側からはとても想像できない色とりどりの光景である。

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中に入ってすぐ隣には安くて美味しいポーランド料理が食べられる食堂があり、いつもお客さんでいっぱいである。1Fには食品関係を中心とした店が、2Fには日常雑貨や靴の修理屋さん、両替所などの店が建物を囲むように並んでいる。確かに名前の通り「市場のホール」である。物が豊富にあり、値段もそんなに高くはないが、宿舎からトラムを使ってここまでしょっちゅう買い物に来るわけにはいかない。            

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 今、住んでいる宿舎の道路を挟んで向かい側にブロツワフ経済大学がある。その大学の構内を抜けて7~8分ほど歩くとBazar(バザール)がある。ここには、衣類、食材、日常雑貨類を中心とした店がたくさん集まっている。「市場のホール」のミニチュア版である。

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 朝から大勢の人で賑わい、目当ての物を探している。また、買い物だけではなく話の中身はよくわからないが、笑い声が聞こえたり、長々と話をしている様子を見ると、このバザールは社交の場としても大きな役割りを果たしているようだ。
 『外国で生活をしてみたい』その思いには『現地の人たちの中に溶け込みたい』という考えがあり、このバザールは正にその場所そのものに感じられた。

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 初めてこのバザールに来たとき、1軒の肉屋さんに入り肉300gを買おうとした。覚えたてのポーランド語で3(チシ)、100(スト)g(グラム)と言ったところ、店の人から英語で聞き返され、ポーランド語では30(チシヂェシチ)、10g(デコ)で、300gの意味になることを教えてもらった。それがキッカケでバザールで肉類を買うときはその店へ行き、英語と片言のポーランド語で話をするのが楽しみになった。

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ただ、バザールは午後3時半ごろに、ほとんどの店が閉まってしまう。幸い、大学の授業は夕方から始まるので私には問題ないが、時間の都合がつかない人には困ってしまう。その人たちは、バザールと道を隔てた手前にあるスーパーマーケットを利用している。

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もちろん、バザールのやっている時間帯でもスーパーにはお客さんがたくさんいる。広いバザールをあちこち歩き回らなくても、手軽に買い物を済ませることができるので、特に若い人たちはバザールよりもスーパーをよく利用している。

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また、このスーパーマーケットの2Fには安くて美味しいポーランド料理が食べられるBar(バル)がある。店自体は飾り気がなく、お客さんは自分の好きな料理を選んで最後にレジで精算する。10zl(約300円位)もあれば、おなかいっぱい食べられる。


bar(2).JPG 並んで待っているときに『今日は何を食べようか・・・』


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どれも美味しそうで選ぶのに困ってしまう。

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 大学の学食も美味しいが、このスーパーの2Fのバルは学生にも人気があり食事時には、地元の人たちと学生とですぐに長い行列ができてしまう。

 身近に安心して食材を手に入れることができ、また、安くて美味しいポーランド料理が食べられることがわかると気持ちに余裕ができる。そろそろ、日本語の授業に出ている学生たち全員の顔と名前を完璧に覚えなくては!そうすれば学生たちの中にもっともっと溶け込めるはずだ。



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