折り紙は親善大使
授業にも慣れ、学生の顔と名前がだいたい一致するようになってきた。しかし、聞きなれない長い名前となると何度覚えても完璧に覚えきれないでいる。
ブロツワフに2年目になるもう一人の日本人の先生から、昨年、初めての授業のとき、デジカメを持っていき学生の顔写真を撮った話を聞き、私も早速、1回目の授業にカメラを持ち込み、学生の名前を呼んだ後、前に出てきてもらい一人ひとりの顔写真を撮った。それをパソコンに入れ名簿を見ながら顔と名前を覚えていくようにした。
授業では2週目から週末の宿題プリントを出し、翌週の最初の授業でそれを返すようにした。宿舎で宿題のチェックが終わると名簿の順番にプリントを揃えていたが、次第に、顔と名前にある程度自信が持てるようになると授業が始まる30分前に教室に入り、入ってくる学生に名前で呼びかけ、それぞれの宿題を返せるようになった。
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学生たちも日本語の授業やクラスの雰囲気に慣れ、座席の位置も徐々に固定化されるようになった。しかし、中には日本語の授業に登録しながら1回出席して、それ以降、来なくなった学生もいる。
ブロツワフ経済大学では、必須外国語として英語・ドイツ語・フランス語・ロシア語・イタリア語・スペイン語の中から学生たちは2つ選ばなくてはならない。私の教えている日本語は、第3外国語になり、選択科目として位置づけられている。したがって、日本語の授業はどんなものか興味本位で覗いてみて面白そうなら出席し、そうでなければ辞めてもいいと考える学生がいてもおかしくない。1回目の授業で用紙を配り、後日、提出してもらったアンケートの内容に『日本語を勉強する動機は何ですか』という質問事項がある。日本語や日本文化に興味があるからと答えている学生がほとんどなのだが、学生と直接話をしてみると、アニメ・マンガが大きなキッカケとなっていることがわかる。その他、将来の就職のため・暇な時間を埋めるためなどさまざまあったが、動機が何であれ、偶然が重なって知り合った学生たちに、この授業が日本そして日本人を理解するひとつのステップになればと考えている。ただ、例年、授業が進むにつれて、受講生の数が減っていくという話を聞いている。選択科目の宿命かもしれないが、一人でも多くの学生に最後までやり通してもらいたい。
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1回目の授業から1ヶ月余りがすぎ、授業の内容も50音図表を使ってのローマ字・ひらがな・カタカナが終り、『げんき』の教科書で、「あいさつ」から場面設定の表現へと進んでいる。1時間の授業は90分。その時間をすべて集中というわけにはいかない。どこかでメリハリをつけなければ学生も教師もただ疲れるだけである。そんなときに折り紙はとても役に立つ。先日、自分で作った作品(折り鶴)を最初に学生に見せ、折り紙タイムに入った。初めに、学生たちに好きな色の紙を選ばせ、折り方を順に教えていく。授業のときには目立たない学生も、この時ばかりは夢中になって取り組んでいる。机間巡視をしながら、紙が正しく折られているかチェックする。ここでは日本語とは違った能力、その人の器用さが問われてくる。なかなかうまくできない学生には、決して焦らせず、正しい折方をその学生の紙を使ってひとつひとつ教えていく。いくつかの手順が進んでいくと、こんどは学生の方からよくわからないと言ってくるようになる。そして最後の手順が終り一つの作品が完成すると学生たちも満足そうな様子で、お互いの作品を見せ合い、教室の中がにぎやかになる。中には自分で少し改良した作品を自慢げに見せている学生もいる。折り紙を通して一人ひとりと接することが、先生と学生との関係に大きな影響を与えてくれることは、その後の授業でわかった。
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それまでおとなしく、授業中もこちらからの問いかけに少しこわばった表情をしていた学生が折り紙をやってから、授業への取り組みが少し変わり、日本語の勉強でも質問するようになってきた。これも折り紙のおかげだと思っている。
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また、私の住んでいる宿舎では、毎週木曜日、掃除をするために私の部屋におばさん(イレー
ナさん)が来てくれる。彼女はこの宿舎の清掃管理を主に任され、いつも明るく、元気で私の片言のポーランド語に付き合ってくれる。ある木曜日、前日作った折り鶴があり、掃除の後、それを彼女に鶴というポーランド語がわからないので、鳥を意味するPtak(プタク)と言ってプレゼントした。
イレーナさんは、プタク、プタクと言って喜んで受け取ってくれた。
折り紙はきっと世界中どこでも通用する親善大使だと思った。
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